NHKで特集も組まれた、奈良県桜井市の音羽山観音寺の住職を務める後藤密榮(ごとうみつえい)さん。
30年以上にわたり観音様に仕える住職の生い立ちや経歴、そして気になる若い頃の姿についてご紹介します。
【顔画像】後藤密榮の若い頃が美人はホント?
後藤密榮さんの若い頃の写真は、限られた数しか公開されていませんでした。
奈良新聞に掲載された
1986年(昭和61年)当時、35歳の頃の貴重な写真
があります。
この写真は夏焼温泉での家族旅行の際に撮影されたもので、高野山尼僧学院を卒業した年の記念旅行でした。
写真に写る若き日の後藤密榮さんは、
凛とした佇まいと清楚な雰囲気があり美人
という言葉がふさわしい方です。

住職さんをされているだけあって落ち着いた雰囲気が伝わってくるね



悟りを開いている感じ
現在の後藤密榮さんは70代とは思えないほど
・肌がツヤツヤ
・シワやシミが少ない
ことでも知られています。
山での生活や精進料理を中心とした食生活、そして何より心の穏やかさが美しさの秘訣なのかもしれません。
いつも
口角が上がった笑顔が印象的
で、NHK Eテレの人気番組「やまと尼寺精進日記」のファンからは



住職の笑顔に癒される
という声が多く寄せられているそうです。
若い頃から今もなお、内面から滲み出る美しさを持ち続けている方なんですね。
次は後藤密榮さんの学歴を調査しました。
【学歴】後藤密榮の出身高校・大学はどこ?
ここでは後藤密榮さんの出身高校・大学を見ていきましょう。
テレビを見ていて あの人
— 平:凡 (@Hey762829250246) July 7, 2025
後藤密榮さん(??歳)
まっちゃん、慈瞳さんが山を下りて
ご住職が1人になって何年経つのか?
放送を見るたびに、また3人揃って欲しいと思うこの頃 pic.twitter.com/zwXvT9q18m
まずは高校です。
出身高校
後藤密榮さんの出身高校については
詳細不明
でした。
愛知県出身であることから
愛知県内の高校を卒業された
可能性があります。
一般的に真言宗の尼僧になる方は、
・高校卒業後に直接高野山での修行の道に進む方
・一般の大学を経てから僧侶を志す方
がいます。



きっと、どちらの道も厳しい修行が待っているんだよね



どんな思いで僧侶の道を進むんだろう
次は出身大学を見ていきます。
出身大学
後藤密榮さんはどこの大学を出られたのでしょうか。
#やまと尼寺精進日記
— 食べ太 伊賀 (@tabetaiga) February 8, 2021
大好きでよう見てる。
奈良の桜井の尼寺の日常。
住職:後藤密榮さん
副住職:佐々木慈瞳(じとう)さん
お手伝い:まっちゃん
村のじゅんこさん
番犬 おさむ
猫 チロ
なんかええねんコレ(*´∀`*)
大阪生まれやけど僕の本籍は奈良県桜井市の田舎。
これずーっと見てられるわ♪ pic.twitter.com/YiUhS0dx0N
後藤密榮さんの出身大学についても
詳細不明
でした。
後藤密榮さんは、母親を亡くされたことをきっかけに25歳で仏門に入ることを決意し、30歳で僧侶になられました。このことから
一般の大学を卒業?
された可能性があります。
・大学を卒業後
・あるいは社会人経験を経てから
高野山での修行に入られたと推測されます。



自分が20代の時に母親が亡くなるのはつらい



母親が亡くなってからの僧侶になる決意をしたのには余程の覚悟を感じるね
【経歴】後藤密榮の経歴&生い立ちまとめ!
ここでは後藤密榮さんの経歴や生い立ちをまとめました。
NHKスペシャル「やまと尼寺 精進日記 ひとり生きる豊穣」が、9月2日(月) Eテレ 午後1:10から再放送!
— NHK出版マーケティング局 (@nhkpb_text) August 29, 2024
山深いお寺にひとり暮らすご住職の後藤密榮さん。知恵と工夫で月々の観音縁日を絶やさず、里の人たちと季節の喜びを堪能する、慎ましくも豊かな日常があった。https://t.co/6tePXJaJrU
幼少期〜青年期(1951年頃〜1970年代前半)愛知県での少女時代
後藤密榮さんは
1951年(昭和26年)2月生まれ
愛知県出身
です。
1951年は戦後の復興期にあたり、日本ではサンフランシスコ講和条約が調印された年でした。


高度経済成長前の素朴な日本の原風景の中で、後藤密榮さんは育ったそうです。



過酷な環境の中で育ったんだね



過酷な環境が後藤密榮さんを強くしたのかな
母親の病と死(1970年代半ば、24〜25歳頃)仏教との出会い
1970年代半ばは・・
・日本が高度経済成長期を経て安定成長期に入った頃
・大阪万博(1970年)の熱気も冷めた頃
・オイルショック(1973年)を経験した時代
でした。
後藤密榮さんの人生を大きく変えたのは、
母親の病気と別れ
でした。
大好きだった母親が病に倒れ、後藤密榮さんはお寺にお参りするようになったそうです。



最愛の人が大変な時は神にすがる思いだよね



できることは何でもするって思っちゃう
母親の快復を祈る日々の中で、仏様や観音様との繋がりを深めていきます。
そして
最愛の母を失った悲しみで塞ぎ込んでいた後藤密榮さんですが、四十九日のお参りの際に
「仏様のそばが心安らぐ」
ことに気づいたそうです。
高野山での修行時代(1980年代前半、30代前半)真言宗僧侶への道


母親の死をきっかけに仏門に入ることを決意した後藤密榮さんは、
高野山で修行
を始めました。
高野山は
弘法大師空海が開いた真言宗の聖地
標高約1000メートルの山上に117もの寺院が立ち並ぶ宗教都市
厳しい修行の場
として知られています。
後藤密榮さんは高野山尼僧学院8期生として入学。
約100日間にわたる「四度加行」という厳しい修行を経て、真言宗の僧侶資格を取得しました。



100日間の修行ってどんなことをするんだろう



想像を絶する内容なんだろうな
続いて後藤密榮さんの父親とのこんな体験もあったそうです・・
高野山尼僧学院卒業と父との思い出(1986年、35歳)忘れられない父の言葉
1986年に後藤密榮さんは35歳で高野山尼僧学院を卒業しました。
この年、旅行というものを一切しない人だった父親が初めて旅行を企画したとのこと。
師匠、父親、中津川に住む姉夫婦と共に国道153号線沿いの夏焼温泉へ行ったそうです。
この旅行で父親は後藤密榮さんに忘れられない言葉を伝えたそうです。
「ワシのことより師匠に尽くせ」
引用:奈良新聞
この言葉は、
・父親の深い愛情
・娘が選んだ僧侶としての道への理解
を示すものでした。



自分の選んだ道を理解してもらえた時は嬉しかっただろうね
父親はこの数年後に亡くなりますが、この言葉は後藤密榮さんの人生の指針となりました。
音羽山観音寺住職就任(1989年、38歳)廃寺からの再興への挑戦
音羽山観音寺後藤住職の花だより – ハスの実を使った念珠づくりは色とりどり https://t.co/liH4uLOIkb
— hydepark (@asukanokaze2018) October 23, 2025
1989年(平成元年)、後藤密榮さんは
38歳で音羽山観音寺の住職
に就任しました。
住職として音羽山に入った時、お寺の状況は
・建物は廃墟同然
・参道は荒れ果てて険しい
・電気も水道も不安定
・村人たちは「いつまでいるのか」と半信半疑
と想像以上に厳しいものでした。
後藤密榮さんは
自分の居場所があったことのほうが嬉しかった
と当時を振り返っているそうです。
ひっしょり撮影パート2
— さえないりりぃ (@koneririUGsuki) October 27, 2025
ちなみに、この神社様へ行くバスの途中にあるのが、「やまと尼寺精進日記」で有名な音羽山観音寺さんです
多分、観音寺さんもバス停からまぁまぁ歩くと思います☺️ pic.twitter.com/jZsbqxzucJ
今では観光客も来るほどになっているそうです。
現在(〜現在2025、70代)「やまと尼寺精進日記」と新たな挑戦
音羽山観音寺に入山してから30年以上が経過。
後藤密榮さんの献身的な努力により、お寺は見事に再興されました。
2016年頃からNHK Eテレが音羽山観音寺での暮らしを取材し、
「やまと尼寺精進日記」
として2020年まで約4年間放送されました。
番組では、後藤密榮さん、副住職の佐々木慈瞳さん、お手伝いのまっちゃんの3人による
・精進料理作り
・季節の行事
・山での暮らしぶり
が紹介され、大きな反響を呼びました。
現在、後藤住職は70代(2025年現在74歳)。
2022年2月に71歳の誕生日を迎えた際、年中無休だったお寺を火曜日閉門とすることを決められたそうです。
近年ではYouTubeやFacebookでも情報発信を開始。



SNSを利用した情報発信は今風だね。



時代に合わせて変わるところは長く続きやすいよね
より多くの人々に音羽山観音寺の魅力と、山での暮らしの豊かさを伝えています。
奈良新聞での連載「音羽山観音寺 後藤住職の花だより」も好評で、四季折々の花や料理、日々の出来事が紹介されています。
後藤密榮(やまと尼寺・住職)のwikiプロフィール!年齢や生年月日は
後藤密榮さんのプロフィールを紹介します。
Thank you, Mitsuei Goto san the temple priest.
— Unagi Travel (@unagitravel) March 14, 2019
ご住職の後藤密榮さん、ありがとうございました🙏 pic.twitter.com/eLzl0IB4wK
・本名: 後藤密榮(ごとう みつえい)
・生年月日: 1951年(昭和26年)2月生まれ
・年齢: 74歳(2025年10月時点)
・出身地: 愛知県
・特技: 精進料理、野草の知識、薪割り
情報源:奈良新聞、話題の森 後藤密榮の現在と経歴,
やまと尼寺精進日記
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まとめ
この記事では後藤密榮さんの生い立ちや経歴、若い頃の姿について紹介してきました。
内容をまとめると
・奈良新聞に若いころの写真がある
・出身高校・大学の詳細は不明
・25歳で最愛の母を亡くしたことをきっかけに仏門に入り、高野山での厳しい修行を経て、38歳で廃寺寸前だった音羽山観音寺の住職となる。
ということです。
これからも多くの人々の心の拠り所として、音羽山で観音様と共に歩んでいかれることでしょう。
気になる方は音羽山観音寺をさらに調べてみてはいかがでしょうか。
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