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【経歴・学歴】後藤密榮の若い頃が美人?生い立ちなどwikiプロフィール!

NHKで特集も組まれた、奈良県桜井市の音羽山観音寺の住職を務める後藤密榮(ごとうみつえい)さん。

30年以上にわたり観音様に仕える住職の生い立ちや経歴、そして気になる若い頃の姿についてご紹介します。

目次

【顔画像】後藤密榮の若い頃が美人はホント?

後藤密榮さんの若い頃の写真は、限られた数しか公開されていませんでした。

奈良新聞に掲載された

1986年(昭和61年)当時、35歳の頃の貴重な写真

があります。

この写真は夏焼温泉での家族旅行の際に撮影されたもので、高野山尼僧学院を卒業した年の記念旅行でした。

写真に写る若き日の後藤密榮さんは、

凛とした佇まい清楚な雰囲気があり美人

という言葉がふさわしい方です。

住職さんをされているだけあって落ち着いた雰囲気が伝わってくるね

悟りを開いている感じ

現在の後藤密榮さんは70代とは思えないほど

・肌がツヤツヤ

・シワやシミが少ない

ことでも知られています。

山での生活や精進料理を中心とした食生活、そして何より心の穏やかさ美しさの秘訣なのかもしれません。

いつも

口角が上がった笑顔が印象的

で、NHK Eテレの人気番組「やまと尼寺精進日記」のファンからは

住職の笑顔に癒される

という声が多く寄せられているそうです。

若い頃から今もなお、内面から滲み出る美しさを持ち続けている方なんですね。

次は後藤密榮さんの学歴を調査しました。

【学歴】後藤密榮の出身高校・大学はどこ?

ここでは後藤密榮さんの出身高校・大学を見ていきましょう。

まずは高校です。

出身高校

後藤密榮さんの出身高校については

詳細不明

でした。

愛知県出身であることから

愛知県内の高校を卒業された

可能性があります。

一般的に真言宗の尼僧になる方は、

・高校卒業後に直接高野山での修行の道に進む方

・一般の大学を経てから僧侶を志す方

がいます。

きっと、どちらの道も厳しい修行が待っているんだよね

どんな思いで僧侶の道を進むんだろう

次は出身大学を見ていきます。

出身大学

後藤密榮さんはどこの大学を出られたのでしょうか。

後藤密榮さんの出身大学についても

詳細不明

でした。

後藤密榮さんは、母親を亡くされたことをきっかけに25歳で仏門に入ることを決意し、30歳で僧侶になられました。このことから

一般の大学を卒業

された可能性があります。

・大学を卒業後

・あるいは社会人経験を経てから

高野山での修行に入られたと推測されます。

自分が20代の時に母親が亡くなるのはつらい

母親が亡くなってからの僧侶になる決意をしたのには余程の覚悟を感じるね

【経歴】後藤密榮の経歴&生い立ちまとめ!

ここでは後藤密榮さんの経歴や生い立ちをまとめました。

幼少期〜青年期(1951年頃〜1970年代前半)愛知県での少女時代

後藤密榮さんは

1951年(昭和26年)2月生まれ

愛知県出身

です。

1951年は戦後の復興期にあたり、日本ではサンフランシスコ講和条約が調印された年でした。

高度経済成長前の素朴な日本の原風景の中で、後藤密榮さんは育ったそうです。

過酷な環境の中で育ったんだね

過酷な環境が後藤密榮さんを強くしたのかな

母親の病と死(1970年代半ば、24〜25歳頃)仏教との出会い

1970年代半ばは・・

・日本が高度経済成長期を経て安定成長期に入った頃

・大阪万博(1970年)の熱気も冷めた頃

・オイルショック(1973年)を経験した時代

でした。

後藤密榮さんの人生を大きく変えたのは、

母親の病気と別れ

でした。

大好きだった母親が病に倒れ、後藤密榮さんはお寺にお参りするようになったそうです。

最愛の人が大変な時は神にすがる思いだよね

できることは何でもするって思っちゃう

母親の快復を祈る日々の中で、仏様や観音様との繋がりを深めていきます

そして

25歳の時、母親が永眠

最愛の母を失った悲しみで塞ぎ込んでいた後藤密榮さんですが、四十九日のお参りの際に

仏様のそばが心安らぐ

ことに気づいたそうです。

高野山での修行時代(1980年代前半、30代前半)真言宗僧侶への道

母親の死をきっかけに仏門に入ることを決意した後藤密榮さんは、

高野山で修行

を始めました。

高野山は

弘法大師空海が開いた真言宗の聖地

標高約1000メートルの山上に117もの寺院が立ち並ぶ宗教都市

厳しい修行の場

として知られています。

後藤密榮さんは高野山尼僧学院8期生として入学。

約100日間にわたる「四度加行」という厳しい修行を経て、真言宗の僧侶資格を取得しました。

100日間の修行ってどんなことをするんだろう

想像を絶する内容なんだろうな

続いて後藤密榮さんの父親とのこんな体験もあったそうです・・

高野山尼僧学院卒業と父との思い出(1986年、35歳)忘れられない父の言葉

1986年に後藤密榮さんは35歳で高野山尼僧学院を卒業しました。

この年、旅行というものを一切しない人だった父親が初めて旅行を企画したとのこと。

師匠、父親、中津川に住む姉夫婦と共に国道153号線沿いの夏焼温泉へ行ったそうです。

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